目的を見失う時こそ、飛躍のチャンス

とある学校に赴任した時自分の存在価値を見失いました。自分がこの学校にいる価値がわからなくなったのです。いや、むしろ自分が居ない方がこの子達の為になるんじゃないかとさえ、強く思うようになったのです。 「自分が居ない方が良い」そう感じる時、この上なく辛くなりますね。保護者なら「自分が親じゃ無い方が」って思う時、職場でそう思う時、間違いなく大きな辛さを抱える時だと思うのです。 一歩間違えれば、心を潰されます。心の病や、下手すれば命を断つことさえあるでしょう。 当時の私も、かなりのどん底に落ちました。とあるアクシデントで休職せざるを得なくなったのですが、正直「ラッキー!」と思ったのを未だに忘れません。 軽い鬱状態にあったのかも知れません。 しかし、これを乗り越えると「あのときに比べりゃマシ」、そう思えるようになったのです。 何が言いたいか、「自分の存在価値を見失う時」とは、「自分の新たな存在価値に気付ける時」でもあるように思うのです。また、どん底を耐えることにより、己の器を広げていると思うのです。 「試練は人を選んで与えられる」と言う通り、神様はきっと、選んだ人に与えるべくして試練を与えているのだと思うのです。より大きな価値ある人だからこそ、「今まで感じていた己の価値を見失う」という試練を与えられたのだと思うのです。 だから今、「自分の存在価値を見失い苦しんでいる」のならば、それは、「あなたはもっと価値ある人間なのだ」と神様が教えようとしているのだと思うのです。 試練は人…

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学ばせることより、学び方を学ばせる(宿題編)

かつて「ドラゴン桜」というドラマで、「無人島でお腹を空かせた子供がいる。目の前には釣り道具がある。どうする?」と問われ「私が魚を釣って食べさせてあげます」と答えたら、「だからお前はダメなんだ」なんて言われるシーンがありました。 これについて同僚と「その通りだ!」って話した事をよく覚えています。 釣って食べさせてあげている限り、いつまでたっても子供は、口を開けてエサを待つ雛鳥ですよね。 学習も同じ。 尻叩いてやらせても、せいぜい漢字と計算、暗記物程度位しか身に付きません。 漢字(ひらがな)学習は、学び方を教える第一歩です。これをいつまでも、「○という字を一行ずつ書きなさい」なんてやっていたら、学び方すらわからない子になります。 ただ、怖いのはそうやって「やらせている方が目先の点数が取れてしまう」と言うことです。 「先生に言われた通りの字を、言われたままに練習すれば漢字が覚えられる」なんて感覚を刷り込んでしまったら、後々悲惨です。そして、学ぶ楽しさを全く教えていないことにもなります。 漢字をやり始めたら、早いうちに、明日はここに書いてある字を出すよ~位にして、子供がそこに書いてある字を練習してくるようにするのです。 何回書くかなんて、子供が決めれば良いのです。それを繰り返すなかで、「漢字をかけるようになるための漢字練習」が身に付いていきます。 教師も、書き順を出したり、部首を出したり、意味を言って熟語を書かせたりすると、子供も予想して練習するようになりますね。これが…

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褒めて伸ばす

「褒めて伸ばす」って、かなり以前からよく言われてますね。 ですが、血気盛んな頃は「はぁ?何をおだててんねん!悪いことすりゃ叱り散らずし、良いことしたら褒めりゃ良い!」って、深く考えもせずにいました。 今、改めて思います。「褒めて伸ばすって大切だ!」って。そして、「褒める」イコール「認める」って事なんだって。 だから、そりゃ悪いことをしたら叱るのは当然です。でも、何のために叱るのかを忘れたらダメ。褒めたいから叱るのです。叱りつけたら、必ずそのあとにやってくる褒めチャンスを逃さないようにする。 たったこれだけのことで、どれ程子供がやる気を出すことか。 結局、子育て上手は褒め上手なんだって、強く強く思うのです。 「まだまだ褒める所まで来てない」なんて言ってませんか?それって、結果しか見ていませんよね。 結果しか見られてない子は、不正なりに手を染めやすく、努力を認められた子は、向上心を味方に出来ます。

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