蔓延る「忖度」を打ち破れ

学校って言うところは「忖度」だらけと言っても過言ではありません。 例えば研究授業。どんな授業を見たって「今日は大変良い授業をありがとうございます」となる。後から「あんなこと出来っこない」とコソコソ・・・。 散々寝倒しておきながら、「この会意味ない」とは言わない。因みに「意味無い」と言うと「得るものはある」と言われます。そう言うことではなく、こちらが言いたいのは「これだけの時間と労力を費やしてまでやる意味が無い」と言うこと。つまり、タイムパフォーマンスですから、最近はそこまでいちいち言うようにしました。 核心に言及せず、のらりくらりとやって来たことも、現在の飽和状態を招いた一因と言えるでしょう。 働き方改革なんて言葉が出回り始めたけれど、少なくともそれに期待し、子供達にも「教師って仕事は良いよ!」って胸張って言えるようにしたいのなら、我々自身も「忖度」からは足を洗わなきゃ。

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知識やスキル伝達だけなら教師は不要になる

AI(人工知能)の進化には、日々驚かされます。そして、これは間違いなく教育界に大きな影響を及ぼすでしょう。 はっきり言えることは、教科指導のほとんどはAIによって可能になるだろうと言うことです。ただでさえ、教科学習は学校じゃなくても出来ますから、それを思えば当然のことだと思います。 では、「教師という存在は不要になるのか?」と言うことです。 私は、「NO」と考えます。 ただし、AIの進化により、鉄腕アトムのように人の心を持つロボットが登場するとしたら別ですが・・・。 学校における教育活動は、教科指導だけではありません。むしろ、教科指導以外が大変です。だから、教科指導だけやっていれば良いのなら、こんな楽な仕事はありません。何しろ、子供が一人でも出来ることなのですから。 では、それ以外って何でしょう? それはやはり、人としての心の成長を支える仕事だと思います。 学校のように、友達がたくさんいて、好き嫌いに関わらず付き合い、児童会をやり、掃除をして、休み時間があって遊んだりケンカしたりできて、なおかつそこに指導者がいるなんていう環境は、まず他に無いでしょう。学校は、この魅力をもっともっと自覚するべきだと思ってます。 残念ながら現状では、そこを自覚するどころか、教科指導のことばかり意識しているように思います。これじゃあ自らAIに代用される時代へ向かうようなものです。 集団生活の中で学べること、育まれること、人としての心の成長に繋がる指導が出来ること。こればかりは、AIに代わることは…

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「いっそ自分なんて居ない方が子供達の成長につながるのでは」って思うとき

特別支援校に赴任した当初。私の頭の中に渦巻いた感情。 それが、「自分の価値を見いだせない」「自分がいることで子供の可能性を潰している」「いっそ自分なんて居ない方が良い」と言うもの。 食事は喉を通らなくなり、口元に持っていこうとするだけで吐き気に襲われる・・・。 多分、心を病みかけていたのでしょう。 存在価値を見出だせないのだから、心を病むのも当たり前ですけど・・・ そんな状態でしたが、2年後には学校改革の狼煙を上げたり、もう少し後にはとある過保護集団を改革するような命を受けたのだから、それなりの価値を残せたのだと思います。因みに、その命が重すぎて、結局は挫折したのですが・・・。 思うのは、「自分の存在価値を見失う時」と言うのは「新たな存在価値に向かっている時」ではなかろうかということです。 親として、教育者として、或いは友達として云々、自分の存在価値を見失う時ってありますよね。 でも、それを感じる事が出来るのは、むしろあなた自身にもっと大きな存在価値を気付かせるために与えられた事だと思うのです。 むしろ、自分のしていることに疑いすら持たず、「善意の加害者」となり続けている事の方が怖い。あの学校の、あの集団のように・・・。 困るのは、将来の子供達ですから。

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