「全ての子にとって」という発想

「全ての子にとって居場所を作ろうとしているか?」って聞かれました。「はぁ?」って思ってしまいました。 私の考え方が極端なのかな?「全ての子」って簡単に言うけれど、全ての子を知った上で言っているとは思えない。 「子供は素直で頑張りやさんである」との妄想に凝り固まった上で言ってるように思えてしまう。 もちろん、その前提であれば当然答えは「イエス」。そうでなきゃ教師を辞める。 ただ、現実の「全ての子」は、そういうものではない。もちろん、ほとんどの子達はそうだけど・・・。 少しずれるが、「みんな仲良くしようね」ってよく言うけれど(私は言わない)、この言葉を頻繁に使う教師ほど、その真意を伝えないでいることが多いように思う。 「みんな仲良く」とか「みんな楽しく」とかって、「そうなるために一人一人がわがまま言わず少しずつ我慢しようね」のはず。そして、「少しずつ」の多少が、一人一人によって異なる。時には「ほとんど楽しくない」という子が出ても仕方ないはず。だから、「みんな仲良く」だの「楽しく」だの、「みんな」云々を使うのなら、「そのためにはどういう事が必要なのか」を伝えなければならない。 言葉で伝えるもよし、でも低学年なら、「みんな楽しく」だけ言って遊ばせておいて、誰かが「楽しくない!」って言い出したタイミングで、子供達と話し合うと、だんだんに考えが育っていく。「自分だけが良ければそれで良いではダメなんだ」ってわかるようになっていく。 しかし、そう言う場合でも、「愛着障害」のような子…

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社会的にダメなことは、学校でもダメにしておく

特別支援校の高等部にいた頃、進路講話なるものがあり、正式名は忘れましたが、就労支援の関係をやっている方を招いてのお話がありました。 そこで出てきた言葉に、私ともう1人の先生が首を傾げました。因みに、自負しているように思われるかも知れませんが、私もその先生も、特別支援素人なが同時に赴任し、資格も経験もあるはずの先生方が、手に終えなかった問題事案を解決させました(2年程かかった)。 さて、首を傾げた言葉とは・・・「学校では出来なくても待ってくれますが、会社では待ってくれません。」です。 「こういうことをやっているから子供達が成長しないんだ!」って、事ある毎にその先生と愚痴溢しながら「俺達が間違っているのか?いや、そんなはずはない」と、教育たるもののスタンスを確認し合い、成果も上がって「やっぱり間違ってはいなかった」と思えるようになっていた頃だったので、この言葉にはすかさず反応しました。 これ、通常校も含めてあてはまることだと思っています。社会的に認められないことを、良しとしてしまうことってあるんじゃ無いでしょうか。特に、犯罪と言えるような事案で・・・。 いじめなんて、その最たることですよね。もちろん先生達だけを責められません。何しろ、いじめを許さないって言ったって、いじめた子を警察が捕まえてくれるわけでもなく、盗難があったって、防犯カメラがついたり、指紋鑑定が入ったりするわけでは無いのですから。 ただ、社会的にダメなことはダメと言うスタンスを1本通すことにより、かなりの子達が伸びるはずです…

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子供を大切にするけれど、子供を中心とはしない

乳幼児期の子育て。 結論から書くと、「子供のライバルを設けましょう」と言うことです。 何でこんなことを書くのか?「一人っ子だからワガママで・・」って、よくある話。そりゃ、家庭の中で一番年下で、一人だけ子供でとなれば、そうなるのもわかりますよね。 これが、大家族となれば、子供同士の生存競争とも言える状態。自ずと「他者との調整力や寛容さ」が育まれていくでしょう。 だったら、そういう環境を作っちゃえば良いと思うのです。だから「大人げない大人」になっちゃえば良いと思うのです。 大人の都合に振り回したり、食事のおかずをかけてバトルしたり、そんな子育て、良いと思います。

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