とある学年の崩壊劇

「案の定」と言うか、とある学年の現状がなかなか大変な状態。 今年から担任になった新任(ベテラン)の先生がよく嘆いています。 何しろ「育ってない」のです。話を聴く、並ぶ、歩く、掃除する、そのことごとくが・・・。 「その学年、手をかけ手をかけ手のかかる子にする」という典型的なやり方を受けてきた学年。 子供達には「先生が怒ったら止めればよい」「先生に言われるまではやっててよい」との思考が知らず知らずのうちにインプットされていることがハッキリわかります。 もちろん家庭背景のこともありますが、教師の感情で叱咤激励されると、こういう学年になりがちです。例えば、ちゃんとやってる子を後回しにして、手のかかる子にかかりっきり・・・。授業中もそんな光景がよく見られました。 教育はある種のインプット作業。教師がやった気になっているだけで、実は意図することと違うことをインプットしているケースがたまにあります。「何度言ったらわかるの!」なんて小言が聞こえたら、その先生は感情に振り回されたタイプでしょう。 「何度言ったらわかるの!」とは、そのやり方では心に落ちないという子供からのサインに気づこうとせず、己のやり方を客観視できない教師の常套句なのです。 我が子にかけている言葉を思い出して見て下さい。「何度言ったらわかるの!」なんて使ってませんか?これを何度も使っているようなら要注意です。何度言ったらわかるの!って言う親は、何回やっても学ばないというモデリングになってます。自らが子供からのサインを大切にして試行錯…

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言葉に振り回されない

「わかった?」「はいわかりました」というやり取りって、かなり多くの場合、「わかった?」と問いただしている側が区切りをつけたいだけではないでしょうか? そして、問いただされている側には「わかったとさえ言えば、この説教が終わる」という印象を与えているなんてことにも・・。 言葉のやり取りだけでは、本当にわかったかどうかは見えません。 言葉よりも態度。言葉では誤魔化せても、振る舞いまではなかなか誤魔化せませんから、生徒指導案件では、それを意識しています。

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黒板の周りには掲示物を・・・・貼りますよ

「黒板の周りには掲示物を張らないように」との主張を耳にする機会が多くなってきました。 「合理的配慮」とのことです。 黒板の周りいろいろな掲示物があることで、集中できなくなる子達への「合理的配慮」とのことです。 「はあ?」って思います。 確かに、気が散りやすい障害の子達もいます。そして、障害に対する合理的配慮は、やって当たり前です。 でも、「合理的配慮」はあくまでも「合理的」な範囲でのことです。何のために掲示物を子供達の目のつきやすいところへ置いているのかが、全く考慮されていません。意識化させるためです。 「目標は紙に書いて目のつくところに貼り出す」って、目標達成のための一手段です。だから、全体の成長のために目のつくところに貼り出しているのです。そして、目のつくところに貼り出すことにより、そうしないと忘れやすい子達へのサポートもしているわけです。「合理的配慮」とは、全体の不利益にならない範囲で行われるものですから、そう言う掲示物を外せというのは、合理的配慮の範疇を超えています。 なのに、その主張は相変わらず上から下りてきます。 情けないことに、特別支援教育の専門家からも、下りてきます。特別支援教育の専門家なら、掲示物で集中できなくなる子達なら、掲示物だけでなく、音にも気が散りやすいことを知っているはず(もちろん視覚優位とかはあるけれど)。 そう考えれば、学校なんて隣のクラスから、上下の階からも、音楽会シーズンなんてあちこちから様々な音刺激がやってきます。黒板の周囲をスッ…

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