障害は不幸じゃない、気付かないことは不幸だ

もしも、お子さんの担任から、「あなたのお子さんは、何かしら障害があるかも知れないから、一度検査してみたらどうですか?」と言われたらどうしますか? 教師内では、「そんなことを保護者に言うなんてけしからん!」と考えるか、「子供のために、よくぞそこまで言った」と考えるか、「そんなこと言って保護者が文句言ってきたら面倒なんだから黙っていれば良いのに」と考えるか、大きく3つの考え方に分かれます。 ヘレン・ケラーさんは、「障害は不便だが、不幸ではない。」との言葉を残していますが、特別支援校で進学・就職を担当したり、就職後の様子を見たりして思うことは、「不幸ではないが、気付かないことは不幸だ」と思うようになりました。 気付かないまま「何で自分は他の人のように出来ないのか」と苦しみ悶え二次障害を引き起こす・障害が認められたのに親が受け入れず自己肯定感を押し潰される・発見が遅れ障害の受容が遅れてしまう等々、これらのことは「もっと早くに気付いてさえいたら」全く違う結果になった可能性が大きくあります。 これは不幸なことに他なりません。 だとしたら、教師内ですら賛否両論ある「障害についての話題」ですが、その可能性を伝えてくる担任が考えていることは、決して排除等ではなく、お子さんの未来です。 子供の成長を願うのが親。だとすれば、そんな担任の想いは大事にして欲しいなぁと切に願います。

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無くならない障害への偏見

「障害」と書くのがダメで「障がい」と書きましょうという問題ではありません。 私の考えを先述しておくと、我が子に何らかの障害が疑われると言われたら、「あっそうなのですか!!ご指摘ありがとうございます。」と答え、すぐに受診の手続きを始めます。これは、詭弁でも何でもありません。特別支援校に長年勤務して、障害受容や適切な教育は、開始が早ければ早いほど有効であることを知っているからです。(正し、適切な教育を受けるためにどの特別支援校に入れるかは吟味します) さて、ここからが本題です。障害に対しての差別・偏見は、根強く残っています。これは、法整備が進んでもあります。もちろん、障害者自身の勤務態度か悪く、クビになるようなケースは別です。障害があろうが無かろうが、頑張っている人が報われるべきですから、そうでないのなら、障害があろうが無かろうが、認められなくなるのは当然のことですから。 では、どういう偏見なのか?学校現場で一番感じるのは、冒頭でも述べた、「障害があるかもしれない」と伝えたときに起こる偏見です。 「うちの子を馬鹿だというのか?」とか「障害者扱いするな!」とか「あんたが障害を決めつけて良いのか!」とかいった偏見です。 そして、こう言うことで怒った保護者が騒ぎ出すと、大抵の管理職は、担任に文句を言います。 保護者だけでなく、学校職員すら偏見を持っていることが少なくないのです。 まず、「障害者=馬鹿」と言う偏見。冗談じゃないです。障害者は、馬鹿ではありません!知的な障害があって…

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わたし五等になりたい

担任をしたクラスで読み聞かせる本の一つに、 「わたし五等になりたい」があります。 「ありのままを受け入れること」について 深く考えさせられる本です。 子供の立場で読むのと、親の立場で読むのと、 そして、教師の立場で読むのとそれぞれ思うところが違うようにも思います。 【中古】 わたし、五等になりたい! / 岸川 悦子 / 大日本図書 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】 - もったいない本舗 楽天市場店 「同じじゃないんだ」 この台詞、心に深く刻まれてます。

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