目的を見失う時こそ、飛躍のチャンス

とある学校に赴任した時自分の存在価値を見失いました。自分がこの学校にいる価値がわからなくなったのです。いや、むしろ自分が居ない方がこの子達の為になるんじゃないかとさえ、強く思うようになったのです。 「自分が居ない方が良い」そう感じる時、この上なく辛くなりますね。保護者なら「自分が親じゃ無い方が」って思う時、職場でそう思う時、間違いなく大きな辛さを抱える時だと思うのです。 一歩間違えれば、心を潰されます。心の病や、下手すれば命を断つことさえあるでしょう。 当時の私も、かなりのどん底に落ちました。とあるアクシデントで休職せざるを得なくなったのですが、正直「ラッキー!」と思ったのを未だに忘れません。 軽い鬱状態にあったのかも知れません。 しかし、これを乗り越えると「あのときに比べりゃマシ」、そう思えるようになったのです。 何が言いたいか、「自分の存在価値を見失う時」とは、「自分の新たな存在価値に気付ける時」でもあるように思うのです。また、どん底を耐えることにより、己の器を広げていると思うのです。 「試練は人を選んで与えられる」と言う通り、神様はきっと、選んだ人に与えるべくして試練を与えているのだと思うのです。より大きな価値ある人だからこそ、「今まで感じていた己の価値を見失う」という試練を与えられたのだと思うのです。 だから今、「自分の存在価値を見失い苦しんでいる」のならば、それは、「あなたはもっと価値ある人間なのだ」と神様が教えようとしているのだと思うのです。 試練は人…

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運動会の着順判定にクレームを付ける保護者に対する学校のあり方

実話です。 ある学校に赴任した年に、こんな会話がありました。 「昨年度の運動会で、短距離走の着順判定が間違っているとの抗議が来たから、今年は判定を2人から3人に増やそうか。」 なので、「それはやめた方が良いと思う」と、主張しました。 正直、そんな事を気にしている学校に、情けなさを感じました。 聞けば、最近の保護者は、ビデオを見て文句を言ってくる。ビデオには敵わないし、間違ったらいけないから、3人に増やしておいた方が良いとのことですが、やはり情けなさを感じます。 運動会ですよ?そりゃ子供達は一生懸命走ります。だから、先生達も一生懸命判定します。 それで良いのです。 結果として間違えたら、仕方ないことです。 親なら、むしろ、そういう考え方を子供に教えた方が良いです。運動会は、運動を楽しみながら、集団の心を高める場です。己の勝ち負けにこだわる場ではありません。 そもそも、人間は間違える生き物ですから、運動会での間違えに執着しているようでは、円滑な人間関係も築くことは難しいでしょう。 それを保護者に教えるのも、学校の仕事と言えます(誰が教えるのか?との論議はありそうですが・・・)。 それでも拘るのなら、いっそその方に行政へ訴えてもらえば良い。公正を期するために、学校の運動会へ、陸上協会の審判を派遣して欲しいと。 間違いなく、そんな事はしませんよね。 その手の保護者は、我が子の損得しか眼中に無いからです。その時点で論外です。 「来年は、先生達が間違えないくらいブッチギリで走…

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人を敬うことの奥深さたるや・・

教室で、友達の良い姿を紹介し合う時間を、毎日位置付けています。そして、それを記録しています。 すると、見えてくる色々があります。 自分と仲良しの子ばかりを発表する子。分け隔てなく発表する子。 自分に対して何かしてもらったことばかりを言う子。 全体への気配りを言う子。 続く

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