とある教師的「理想の小学校」とは

現場が日に日に疲弊している昨今にあって、理想の学校像を語り合う、そんなことは皆無となってしまいました。 「そんなことに時間をかけるくらいなら、この雑務を仕上げなきゃ」「テスト採点しなきゃ」「学年会の要項作らなきゃ」「行事の計画作らなきゃ」「アンケートに回答しなきゃ」そして、「帰らなきゃ」って言う状態。 だからいつの間にか、現場教師って洗脳されてるんじゃなかろうかって不安が湧きます。「良い教師って研究授業が好きな教師だ」「良い教師って指導案がきっちり書ける教師だ」「良い教師って全国学力調査で高い平均点を叩き出す教師だ」「良い教師って管理職や行政に従う教師だ」って。 私は全くそうは思いません。良い教師って、良い学校を創造できる教師だと思うのです。 「良い学校を創造できる」って言うと、仰々しく聞こえますが、「良い学校」とはつまり、「良いクラス」の集まりです。 良いクラスが集まっているのに、悪い学校なんてあり得ません。 では、「良いクラス」って何でしょう? それは、先生も子供達も、喜怒哀楽を共にし、目の前の困難に立ち向かい乗り越える喜びを体感し、互いを思いやり、互いの哀しみに共感でき、そして互いに手を差し伸べられる、そんなクラスだと強く思うのです。 ならば、そのクラスにしていくために、教師に必要なことは何でしょう? 何にも優先して必要なことは「クラスにかける時間を確保すること」に他なりません。問題は、現代の小学校においてこの「クラスにかける時間」が全くと言える程に確保されて居ない…

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子供達自身をアクティブに②

ならば、小学校でこだわるべきは何なのか? それが「子供達自身をアクティブにする」ということだと思うのです。 何でもかんでもすぐにいじめ扱いするのではなく、ちょっと嫌なことがあったらそればかりに固執しウジウジするのではなく、物事をポジティブにとらえ、周りをとやかくいう前に自分が動こうとする、そんな考えを育むことの方が、学習指導要領に示されてい「自立」や、AIの躍進により未知の職業が大半となる時代にふさわしいと思います。 そのためには、教科指導ばかりに目が行くような思考を、学校がしていたらダメでしょう。 むしろ、日常生活に目を向け、子供達と向き合うことの方が重要だと思うのです。決して教科指導を捨てろと言うのではありません。でも捨てても良い位には思ってます。何故なら、子供達自身がアクティブになれば、つまらない授業であっても、自分達で学習を進めるでしょうから。 子供達自身をアクティブにしていくためには、日常生活の具体的な場で、その都度多面的に意識付けしていくことが大切です。自力でも出来る、ネットでも出来る学習のために、研究したり、準備したりする時間すら勿体ない位に、意識付けのための時間が必要です。 小学校は、教科担任制ではなく、学級担任制なのです。何のためにそうなっているのか、小学校教師である我々自身がもう一度認識し直し、胸はって子供達と向き合いたいものです。 教科指導において教科担任制の中学教師に劣るのは当たり前なのです。その代わり、教科担任制の中学教師に、学級経営力で劣ることなどあっては…

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子供達自身をアクティブに①

小学校で学級担任をしている自分ですが、アラフィフとなる今にして、色々に疑問を感じるようになりました。 その一つが、全国学力調査導入以来やたらに言われる「学力向上主義」です。それを、そればかりを、公立の小学校がやるのなら、公立小学校の存在価値って、学習塾と同じですよね。 もちろん、学力向上は大切。でも、そればかりってどうなのよ?って思うのです。 こんな話を管理職なり教育行政なりに言うと、「もちろん学力だけではない」との答えが返ってきます。しかし、「学級集団の向上」だの何だのについて、学力向上程に語られることは皆無であり、それが何を意味しているかなんて容易に想像できますね。 そう、学力向上、しかも全国学力調査の順位向上しか頭に無いのが本音なのです。 狂ってます。 (続く)

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